派遣2006/3/18–27 挨拶回り&身辺整理出国までの短い期間に、運転免許証の書き換え、住民票の転出、国民年金などの各種手続きを済ませる。親戚や仕事でお世話になった方々などにも挨拶回り。市町村と都道府県への表敬訪問も必要。 2006/3/28 出国早朝、箱崎T-CATに集合し、成田へ。昼前にはマニラに到着する。さすがアジアは近い(アフリカ組は所用24時間など、ざら)。 イミグレーション手前で出迎えのボランティア調整員と合流し、ドミトリー(註)経由で事務所へ。ここから約1週間、事務所でオリエンテーションを受ける日々。 ドミトリー:正式には「隊員連絡所」。緊急避難所を兼ねた、上京時の宿泊施設。フィリピンの場合には、一般の民家を借り上げている。 2006/4/5–10 任地ホームステイ現地語学訓練の一環として、配属先関係者の家にホームステイ。この時初めて実際の任地、配属先を訪れることになる。私の場合3家族ほどを渡り歩く放浪生活。色々な家庭が見られて、これはこれで面白かった。 この期間中にアパートも探す。私は探すのが面倒だったので前任者と同じアパートに部屋を借りることにした。同任地のM隊員は、よいアパートが見つかるまでの間、ホームステイを続けることにしたらしい。 2006/4/13あたり Holy Week(聖週間)ホームステイから帰ったところが、ちょうどHoly Week。キリストの磔刑〜復活を祝う、フィリピン人にとってはとても大切なホリデーシーズンである。この時期みんなが里帰りするため、ドミトリーのあるマカティ市はゴーストタウン化する。なんと電車まで止まる。 ショッピングセンターも休みになって、あわや餓死寸前。 2006/4/17–5/5 現地語訓練マニラから数時間南下した学園都市ロスバニョスのリゾートホテル(といっても、現地グレードなので質素なものだけれど)に缶詰で、現地語訓練。学ぶ言語(方言)は任地によって違う。私の場合はタガログ語。 20日間で休みが1日だけしかないのが、少し辛かった。 2006/5/10 引き継ぎ式典PNVSCA(フィリピン政府ボランティア調整局)において、正式派遣のための引き継ぎ式典。余興として、タガログ語で歌って踊る。 2006/5/12 正式派遣任地配属先への正式派遣。今日からは一人の隊員として自立して行動しなければならない。ホームステイの時は空港までJICAが車を用意してくれたが、今日からは自分でタクシーやバスを捕まえる必要がある。マニラのタクシーは行儀が余り良くない場合もあるので、結構緊張する。 配属先でまずお願いしたのは、当座のものを買い揃えるための買い出し。車を出してもらってベッドのマット、シャワー用のバケツ、椅子とテーブルなど、最低限のものを買い揃えた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機は前任者が残してくれたものを引き継いだ。 そして、新しい日常が始まった。 |