歪曲劇場

色を奏でる / 志村ふくみ

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滋賀県立近代美術館で、「志村ふくみの紬織り」展というのが開かれている。志村ふくみという名前に何か懐かしいものがあって、考えてみたら、どうも中学校の国語の教材でそういう話を読んだことがあったのだった。展覧会を観たついでに、この本を買った。

色々興味深い話があったのだが、特に忘れ難いのは次の一節。

草木の染液から直接緑色を染めることはできない。この地上に繁茂する緑したたる植物群の中にあって、緑が染められないことは不思議である。・・・(略)・・・たとえ植物から葉っぱを絞って緑の液が出ても、それは刻々色を失って、灰色がのこるばかりである。
(緑という色)
植物の緑色を担うところの葉緑素は酸化されやすく、空気に触れると壊れてしまう・・・というようなことは知識としては持っていた(ような気がする)が、なるほど言われてみれば不思議、というか、直感に反するように感じられる。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、体験を伴わない知識は役に立たない。

ちなみに実際にはどうやって緑を染めるのかというと、くちなし等で黄色く染めた糸を、さらに藍で染めるのだそうだ。その藍も染液は茶色(?)、ということで、なかなか詩的な世界だ。

冒頭リンクした桜の話には、実は続きがある。群馬県の藤原というところにある中学で、教えを乞われ、同じように桜の枝を切って染めてみたら、「赤みを帯びた黄色」になってしまった。落胆する生徒達に、私は「これが桜の色です、藤原の桜の色です。」と答えるしかなかった。「自分の思い上がりを打ちのめされたようだった」。

京都の小倉山の麓の桜と、群馬県の藤原の桜とでは、同じ色には染まらない。それは間違いでも手違いでもなくて、あくまでも事実である。色は植物からいただくのであって、人間の思い通りになるものではない。

いや、それは土壌中のミネラルの含有量の違いが・・・、というのが、まあ正解に近いのだろう。けれども、この謙虚な老人の作品は、とても素晴らしいのである。

posted at 03:12:19 on 2004-05-09 by ichiro - Category:

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