歪曲劇場

声だけが耳に残る / 山崎マキコ

(Book Photo)
鴻上尚史の芝居(トランス?)の中で聞いた、「自叙伝は誰にでも書ける」という台詞が、ずっと耳に残っている。

その芝居の筋はほぼ完全に忘れてしまったので。それがどんなコンテクストで発せられたものなのか、定かでない。けれどもそれ以来、僕は自伝というものの正当性について懐疑的にならざるを得なくなってしまった。自伝というものが持つ暴力姓について自覚的になった、と言ってもいい(いずれにせよ、「トランス」は改めて読んでみるつもり)。

いやまあ、別にこの本(声だけが耳に残る)が自伝だと言っているわけではない。これはフィクションとして読まれなければならない。だが、山崎マキコにこの物語を書かせた(あるいは、書かなくてはならなかった)動機が自伝的であることは否定しがたいように思える。

つまり、山崎マキコはまだ、「健康ソフトハウス物語」を書き終えていなかったのだ。それまでの間、彼女は永遠に「シャチョー」の周りを回り続けなければならない。永遠に?

実は、この話には、「AA 12のステップ」の変奏がちりばめられている。僕はこの考えについて、大変面白いと思った。本書に倣い、最初の3つだけを引用する(本文中、「アルコール」は他の表現に置き換えられている)。

  1. 私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
  2. 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
  3. 私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
「神」だって?

いや、その恐るべき胡散臭さにも関わらず、ここには検討すべき何かがある。少なくとも人間は神を必要としている。問題は神が存在しないこと——もちろん、これは比喩的な表現だが——の方にある。

結局、主人公は暫定的にではあるが「神」を発見する。山崎はようやく書き終えたのかもしれない。どうかそうであって欲しいと望む。

posted at 14:40:22 on 2004-04-13 by ichiro - Category:

Comments

kurumics wrote:

たぶんそれは間違っていないと思う。
そしてH氏は取り残されたのかもしれない。
2004-04-24 01:05:30

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